韓国と 日本、クリゴ、、 居心地 日記 (264)

日本と 韓国 での 日々の 居心地등を 気が向いたら 綴ります。。。。

気になる 戦国武将 松野主馬という人

 

 クリゴ(그리고 

「気になる 戦国武将 松野主馬という人」の稿。。

  

韓国の ラジオを 聴きながら 新稿を 書いてます。

ハングルって 聴き心地が 良いんですよね。

映画や ドラマで 出てくる 所謂「ガラの悪い」のも

ありますが 柔らかい 聴き心地の良い ハングルは なんだか

癒されますね。。。 外国語 色々と ありますが

ハングルは 不思議と 聴き心地が 良いですね。。。   

 

 

歴史が 昔から 大好きです。

初めて 自分が 歴史好きだと 気付いたのは 小学校四年生の時に

図書館にあった 戦国武将に ついての 本を 手に取った時でしたね。

で、小学校六年生の時に 司馬遼太郎氏の 「関ケ原」上中下を

夢中に 読んだもんです。その後 大阪冬の陣・夏の陣を

テ-マにした 「城塞」を 読み 徳川家康・東軍が 大嫌いになり

判官贔屓というか 豊臣家・西軍を 応援しつつ 徳川家康

手玉に 取られて 滅亡していく 豊臣家・豊臣秀頼を 応援というか

何というか もどかしい 気持ちを 持ったもんです。。。

 

松野主馬。。。

 

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※ 公式から お借りしております。カムサハムニダ。 

 

関ケ原合戦図屛風の 中で 松野主馬を 描いてる図なのですが、

関ケ原の戦いで 西軍(豊臣方・石田三成毛利輝元・奉行方)の

負けを 決定的にしたのは 有名な 小早川秀秋の 裏切りなのですが、、

小早川秀秋が 裏切りを 決行する時に・西軍に刃を 向ける時に

抗った 小早川秀秋 麾下の 武将になるんですね。。。

小早川秀秋の 裏切りに 抵抗して 戦線から 離脱して 傍観者に

なっている図になります。

 

日本的な 何というか 曖昧な 手打ち式になってますが

関ケ原の戦いは  明らかに 徳川家康・東軍が 豊臣家から

天下・政権を 簒奪を 目的とした 戦いかと 思います。

徳川家康豊臣秀頼(秀吉の息子で 後継者)のためと 言いながら、

というか そう言わないと 東軍に味方した 豊臣系の 武将達も

名分が 立たず 東軍に味方した 半数の 豊臣系武将は あんなに

露骨に 東軍に 味方しなかったと 思われます。 

日本的な 調整・忖度・バランスの為に 石田三成が 何というか

一身に 罪を かぶされてますが 関ケ原本戦には 西軍側に 豊臣家の

親衛隊も 参戦してますし 石田三成の 居城 佐和山城には

同じく 豊臣家の 親衛隊が 留守隊として つめております。

 

豊臣秀吉の 奥様の 北政所(高台院・ねね・おね)も 西軍の 主将 宇喜多秀家

関ケ原の戦いの 初期 7月頃に 京都で 戦勝祈願(事実上の 出陣式)を 行った時に

側近の 東殿局(西軍 大谷吉継の オモニ・母)を 代理出席させており、

関ケ原の戦いの 本戦で 西軍の敗北が 伝えられると うろたえ・裸足で

居所から 飛び出したという 逸話も 伝えられてます。

関ケ原の戦いの構図は「淀殿石田三成 VS 北政所加藤清正福島正則」とも

言われてますが 後付けだと 思います。一説では 北政所(高台院・ねね・おね)は 

加藤清正福島正則を 遠ざけていたという事ですし、大坂の陣の時は

淀殿と 連携をして 豊臣家を 守ろうとしていたようです。

陣の最中か 停戦した時に 大阪城に 入城しようとしましたが 徳川方に

妨害されてます。その息子(豊臣家の 跡継ぎ) 豊臣秀頼の 滅亡と 大坂の陣

徳川方に 阿弥陀ヶ峰の 豊国廟が 打ちこわされた時 北政所(高台院・ねね・おね)は

どんな 気持ちだったでしょうね。。。。

福島正則、加藤家、浅野家、木下家、小出家など、、、

豊臣系・親族系の 大名は 豊臣家側に 全く ついてくれず。。。。

そして 前田家も 蜂須賀家も。。。。。 

みんな 所帯が 大きくなると 守るものも 多くなるし、、、

今も昔も 変わらない部分ですね。。。。

 

豊臣家は 関ケ原の戦いの後、大阪(摂津・河内・和泉)の

60数万石の 一大名クラスに 転落してます。

全国に 持っていた 蔵入地や 金山・銀山なども 取り上げられてます。

関ケ原の戦いは 豊臣家 大老の 身分を 巧みに 利用した 徳川家康

間違いなく 下克上だと 思います。

 

で、松野主馬さんという 武将は 一万石という 小身でしたが、

豊臣家・豊臣秀吉の 恩(アボジ・父は 秀吉の 馬廻で、本人は

豊臣性まで 賜ってます)を 忘れず 豊臣秀吉の 親族であった

にも 関わらず 裏切りを しようとした 小早川秀秋を 許せず

西軍を 裏切らない 行動をとった 姿を 知って 以来、

ずっと 気になっている 戦国武将の 一人です。

 

こういう方が 今の この世の中・世情に 必要な 方ですね。。。

 

で、そんな 昔から 気になっていた 松野主馬さんですが

京都の 妙心寺に 葬られてらっしゃるという 話も

ありますので 次回 一度 行ってみようと 思ってます。

 

 

さてさて、韓国の ラジオを 聴いてますが、、、

色々な リクエスト曲が 流れてますが 良い歌 多いなあ。。。♬

みんな 歌 上手いなあ。。。 聴き心地 良いなああ。。。 

 

あ、久しぶりに 少女時代の 「ライオンハ-ト」が

かかってる ♪  ♬  ♪。。 ^^

久しぶりに 聴くけど やっぱり 良いなあ。。。^^

 

「気になる 戦国武将 松野主馬という人」の稿

   ここまで。 また 新しい稿  気が向きましたら。。。^^     ........

 

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